東京地方裁判所 昭和61年(ワ)16772号 判決
一 請求の原因1(一)及び同4の事実は、当事者間に争いがなく、また、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証によると、同1(二)の事実を認めることができる。
二 成立に争いのない甲第二号証の一及び二によると、本件明細書の特許請求の範囲1の記載及び本件発明の構成要件は、請求の原因2のとおりであると認められる。そして、被告電極を表示するものであることについて争いのない別紙目録の記載に基づき、被告電極が本件発明の構成要件を充足するか否かについて判断するに、被告電極は、本件発明の構成要件Aの(1)ないし(3)を充足するものと認められる(この点は、当事者間に争いがない。)。
三 次に、被告電極が本件発明の構成要件Bの(4)及び(5)を充足するか否かについて判断するに、右別紙目録の記載によれば、被告電極の心の被覆は、電子比が三対七対二〇のルテニウム、錫及び酸素の固溶体で形成されているものであるから、本件発明の構成要件B(4)又は(5)がこのような固溶体の被覆を含むか否かについて以下検討することとする。
1 前掲甲第二号証の一及び二によると、本件明細書の特許請求の範囲1には、「白金族中の金属の酸化物を用いた」との記載及び「貴金属でない金属の一種以上の酸化物を含有し得る」との記載が存することが認められるところ、右の「白金族中の金属の酸化物」、「用いた」又は「含有」なる表現から、白金族中の金属と卑金属及び酸素との固溶体が本件発明の組成物に含まれると認めうるか否かについて考察する。
(一) 成立に争いのない乙第一、第二号証、第四、第五号証、第八及び第九号証の各一ないし三、第一四号証、第二一号証の二、第二三号証並びに第二五号証の一、四ないし六によると、混合物なる概念は、固溶体を含めていう場合(以下「広義の混合物」という。)と、固溶体と区別し、固溶体を含めずにいう場合(以下「狭義の混合物」という。)とがあるところ、当業者も、特許出願の願書に添付した明細書等において、固溶体なる語について、狭義の混合物又は固溶体を構成する各成分と並ぶ別個独立の概念として用いている場合があること、固溶体、殊に、置換型固溶体は、例えば、ルテニウムと錫と酸素の固溶体のように、規則正しく配列した酸素のマイナスイオンの充填によつてできる隙間に錫とルテニウムのプラスイオンが無秩序に入り込んで形成されるものであつて、統計的にみれば、ルテニウムと酸素のみ又は錫と酸素のみから成る部分が存在せず、ルテニウムと錫と酸素が均一層になつているものをいい、臨界せん断応力の温度変化及び電気伝導度等の点において、狭義の混合物を構成する各成分の性質とは全く異なつた性質を示すことが多いこと、これに対して、狭義の混合物は、各成分が単純に混じり合つたにすぎないものであつて、右の例でいえば、二酸化ルテニウムのみから成る部分と二酸化錫のみから成る部分とから構成されており、その性質は、狭義の混合物を構成する各成分の量に比例した性質を示すことが多いこと、固溶体、例えば、ルテニウムと錫と酸素の固溶体の構造は、酸化物、例えば、ルチル型結晶構造の二酸化ルテニウムと異なることが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定の事実によれば、当業者は、固溶体の語を、狭義の混合物又はこれを構成する各成分とは別の意味を有するものと観念し、用いる場合があることが認められる。他方、成立に争いのない甲第六号証ないし第八号証、第一二号証及び第一五号証並びに乙第七号証の四及び第一八号証によると、当業者にあつても、ルテニウム、マンガン及び酸素から成る固溶体の陽極について、「酸化マンガンは、……酸化ルテニウム中に約五重量%ないし約二五重量%存在する」(甲第六号証のGE特許権)と表現し、また、固溶体の発明であることが明らかなベーアの第二発明の電極の被覆について、「DSAの主成分である酸化ルテニウム」(甲第八号証)又は「酸化ルテニウム系複合酸化物」(甲第一二号証)と表現し、更に、被告がルテニウム、錫及び酸素から成る固溶体の被覆を有する被告電極を製造するため実施許諾を受けているICI特許権の特許公報に、「少量の作動電極材料と二酸化錫、五酸化アンチモン……及びこれらの混合物から選ばれた材料の大量とからなる被覆」及び「該作動電極材料は白金族金属……またはこれらの酸化物の一種もしくは二種以上からなることが最も好ましい。」、「被覆の理論的組成はRuO2四〇重量%、SnO2六〇重量%である。」(甲第七号証)との記載があるなど、白金族の金属、卑金属及び酸素から成る固溶体を指して、白金族の金属の酸化物と表現する場合があることが認められる。しかし、右各証拠及び成立に争いのない乙第七号証の五、前掲乙第一、第二号証によると、当業者が、白金族の金属、卑金属及び酸素から成る固溶体について、「二酸化ルテニウム」など白金族の金属の酸化物として表現している場合は、「回折パターンによれば、酸化マンガンは酸化ルテニウム中に固溶体として存在すると結論される。」(甲第六号証)、「RuO2もTiO2を固溶させてRuO2―TiO2の形にすることによつて」(甲第八号証)等の他の部分の記載から、そのものが固溶体であることが当業者にとつて明白であり、また、第二発明のように、その特許公報の記載(乙第四号証)から、それが固溶体であることが明らかであり、更に、ICI特許権のルテニウム、錫及び酸素から成る電極被覆の実施例のように、その実施例に記載された製法自体から、それが固溶体であることが当業者に理解することができるなど、他の記載等から、それが固溶体であることが明らかな場合がほとんどであるばかりか、固溶体を表現する場合には、「SbはSnO2中に最大二五原子%まで固溶しうる」(乙第七号証の四)、「V2O3は、六五〇℃においてVイオンをMoイオン(約三〇%まで)で置換した固溶体を作る」(乙第七号証の五)等その記載自体から、それが固溶体であることが分かる表現の仕方もあることが認められ、右認定の事実によると、「酸化マンガンは、……酸化ルテニウム中に約五重量%乃至約二五重量%存在する」というような表現から、直ちにそれが固溶体を指しているものと認めることはできず、また、前示のように、固溶体と狭義の混合物を構成する各成分とが異なるものを意味する場合があることを考慮すると、白金族の金属の酸化物という表現自体から、これが白金族の金属、卑金属及び酸素の固溶体を含むものと即断することもできないものというべきである。右認定に反する甲第一〇号証の一(意見書)の記載内容は、前掲各証拠に照らしたやすく採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(二) 本件明細書の特許請求の範囲1の項には、前示のとおり「用いた」又は「含有」との記載があるが、右記載だけからでは、白金族中の金属の酸化物を「用い」、又は白金族中の金属の酸化物に卑金属の酸化物が「含有」されることによつて生成される物質がどのような組成の物であるかを確定することはできない。もつとも、前掲甲第六、第七号証によると、訴外ゼネラル・エレクトリツク・カンパニーの特許出願に係る米国特許第四、二八九、五九一号明細書には、ルテニウム、マンガン及び酸素の固溶体から成る陽極触媒について、「酸素発生陽極に酸化ルテニウム及び酸化マンガンを含む触媒を供給することより成る改良」と表現されており、また、ICI特許公報には、固溶体について、「本発明による電極の被覆は少量の作動電極材料と多量の錫、アンチモンまたはゲルマニウムの酸化物またはこれらの混合物を含有する。」と表現されていることが認められ、右認定の事実によると、固溶体の場合にも、「含む」、「含有する」という表現が採られる場合があることが認められるけれども、前(一)の項に説示するとおり、これらの表現が用いられているのは、そのほかの記載から、そのものが固溶体であることが明らかである場合がほとんどであり、したがつて、そのほかの記載から、そのものが化合物(酸化物)なのか、狭義の混合物なのか、又は固溶体なのかが不明な場合についてまで、特許請求の範囲において「用いた」又は「含有」という表現がされていることを理由として、直ちにそのものが固溶体を含むものであるとすることはできない、といわざるをえない。
(三) 以上のとおり、本件明細書の特許請求の範囲1の項の記載だけからでは、本件発明の組成物の中に、白金族の金属、卑金属及び酸素の固溶体、ひいては、ルテニウム、錫及び酸素から成る固溶体が含まれているものと認定することはできない。
2 そこで、更に進んで、本件明細書の発明の詳細な説明の項の記載を参酌して、本件発明の組成物の中に、白金族の金属、卑金属及び酸素の固溶体が含まれているか否かについて考察する。
(一) 前掲甲第二号証の一及び二によると、本件明細書の発明の詳細な説明の項には、白金族の金属に卑金属を「添加する」(本件公報二頁三欄一〇行、三頁五欄二〇行から二一行まで)、「混合する」(同三頁五欄一七行から一八行まで)との記載が存することが認められる。しかし、右記載からは、白金族の金属に卑金属を「添加」又は「混合」する操作によつて生成する物質がどのようなものであるかを確定することはできない。そこで、右のような操作によつて生成した物質について、本件明細書にいかなる記載がされているかについてみるに、右各証拠によると、本件明細書の発明の詳細な説明の項において、白金族の金属に卑金属を「添加」、「混合」した結果生成した物質の組成を記載している部分は、「この発明は皮膜形式金属製の心の少くとも外部を……一種の白金金属の酸化物と少くとも一種の卑金属の酸化物との混合物の層で被覆した電解処理用の電極に関する。」(本件公報一頁二欄二六行から三四行まで)、「90%酸化白金と10%二酸化マンガンの混合物を心の表面に付した。」(同七頁一三欄二七行から二八行まで)及び「95%酸化白金と5%二酸化ケイ素の混合物で被覆する」(同欄四〇行から四一行まで)など数か所あるところ、そのいずれもが、生成物質を「混合物」と記載していることが認められる。ところで、前示三1のとおり、混合物なる概念には、固溶体を含む広義の混合物と固溶体を含まない狭義の混合物とがあるところ、本件明細書には、「混合物」がいかなるものを指すかについての説明、定義等はされていない。そして、固溶体の語が、当業者の間で狭義の混合物と区別される概念として用いられることがあり、かつ、一般に狭義の混合物とは異なつた性質を示すことが多いなど前示事実を考慮すると、本件明細書に「混合物」なる記載があることから、直ちに「混合物」の語が広義の混合物を含むものと解することもできない、というべきである。
(二) そこで、更に、本件明細書の記載全体からみて、本件明細書にいう「混合物」が広義の混合物を指すと解しうるか否かについて考察する。
(1) 前掲甲第二号証の一及び二によると、本件明細書の特許請求の範囲1には、「白金族中の金属の酸化物を用いたことを特徴とし」(本件公報八項一六欄一一行から一二行まで)との記載が存し、また、発明の詳細な説明の項には、「皮膜形成金属の心について前述した薄層は主に……「白金金属類」の合金から成るものである。……しかし、これに関連する先行技術の提案のすべてに於いては、……層の金属は純粋の金属状態であつて、化学的に化合した酸素を含まなかつた。電解液と電気分解生成物との双方に化学的に極めて良く耐える層をこれらの白金金属やその合金を金属状態でなくてその酸化物の形で用いることによつて構成することができるということを意外にも見出だしたのである。比較的薄い層の酸化物の導電率は該当金属の導電率に等しいものである。」(同一頁二欄七行から二五行まで)との記載が存することが認められる。右認定の事実によると、本件発明の特徴は、皮膜形成金属の心の被覆及び導電物質として、白金族の金属の酸化物を用いるところにあることが明らかであるが、前掲甲第二号証の一及び二によると、更に、本件明細書においては、白金族の金属の酸化物に卑金属の酸化物を添加することができるものとされており、その添加量について、発明の詳細な説明の項には、「この種酸化物は白金金属の還元を阻止するため、或は高過電圧を得るために容量で五〇%まで、望ましくは一~二五%、添加する。」(本件公報三頁五欄一八行から二〇行まで)旨記載されていること、そして、この記載は、その位置及び内容からして、単なる実施例についての説明ではなく、本件発明についての一般的説明として記述されているものと解されるところ、本件明細書記載の本件発明の実施例のうち、白金族の金属の酸化物と卑金属の酸化物の「混合物」についての実施例は、いずれも生成した被覆中に含まれる卑金属の酸化物の量は五〇%までとされていることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。この点に関して、原告らは、本件明細書に記載されている実施例9のうち、五gの塩化白金と一〇gの塩化ニツケルを用いて製造した電極の被覆の例は、発明者が卑金属の酸化物の含有量が五〇%を超える場合のあることを想定していたことを示すものである旨右認定に反する主張をするが、成立に争いのない乙第一〇号証、第一二号証、第二六号証、第三二及び第三三号証の各一ないし三並びに前掲甲第二号証の一及び二によると、この実施例は、五gの塩化白金と一〇gの塩化ニツケルを用い、次亜燐酸塩の還元作用で心上に金属白金と金属ニツケルを沈積させるというものであるところ、このような操作によつて金属白金と金属ニツケルから成る被覆ができるとすることは必ずしも明らかでないうえ、仮にこれができるとしても、このような化学還元メツキの場合には、白金がニツケルに比べてイオン化傾向が小さく還元されやすいため多量に析出してしまい、被覆中に含まれるニツケルの容量は五〇%までになる可能性が高いものと認められるから、この実施例も、前述した本件明細書の一般的説明に符合するものというべきであり、したがつて、原告らの右主張は、採用することができない。かえつて、本件明細書の発明の詳細な説明の項の一般的説明の部分において、白金族の金属の酸化物に卑金属の酸化物を添加する場合、卑金属の酸化物の添加量を容量で五〇%までにすると記載した理由は、卑金属の酸化物を添加した結果生成した物質が、白金族の金属の酸化物と卑金属の酸化物の狭義の混合物であることによるものと認められる。すなわち、前掲甲第二号証の一及び二、乙第二五号証の五並びに成立に争いのない乙第六号証の一ないし三、第二五号証の三によると、白金族金属の酸化物に卑金属の酸化物を添加して生成した電極の被覆の場合、白金族金属の酸化物は導電物質として、卑金属の酸化物は「白金金属の還元を阻止するため、或は高過電圧を得るため」(本件公報三項五欄一八行から一九行まで)のものとして用いられていることが認められるところ、前掲甲第七号証、乙第四号証及び第二三号証並びに成立に争いのない乙第一五号証によると、白金族金属の酸化物と卑金属の酸化物の狭義の混合物の被覆の場合、卑金属の酸化物の量を多くすると、導電物質たる白金族金属の酸化物の量が減少するため導電率が低下し、かつ、電流が白金族金属の酸化物に集中する結果、白金族金属の酸化物の消耗度が大きくなつてしまい、結局は白金族金属の還元を阻止するとの作用も果たせないこと、したがつて、狭義の混合物の被覆の場合、卑金属の酸化物の含有量を多くすることは好ましくないこと、これに対して、白金族金属、卑金属及び酸素から成る固溶体の被覆、例えば、ルテニウム、錫及び酸素の固溶体の被覆の場合、ルテニウムの含有量が余りに少ない場合は別として、これがある程度少ないほど、塩素過電圧の面で長時間の電解に耐え、かつ、ルテニウムの消耗速度が小さい傾向を示すこと、このような知見から、ICI特許権や第二発明にあつても、酸化物に例えて計算すると、固溶体中の卑金属の酸化物の含有量を白金族金属の酸化物に比べて多くしていることが認められる。この点に関して、原告らは、甲第一三及び第一四号証を挙示して、固溶体と狭義の混合物との間で、塩素過電圧及びルテニウムの消耗速度について差は存しない旨主張するが、甲第一四号証記載の実験では、塩素過電圧の経時的変化が不明であり、また、電解条件が乙第一五号証及び第二三号証記載の実験にみられるような電極の寿命がほぼ尽きるような苛酷なものではないため、一五〇〇時間という電解時間であつても、固溶体から成る電極被覆と狭義の混合物から成る電極被覆との間のルテニウムの消耗速度についての経時的変化の差が明瞭になるかどうかは必ずしも明らかではなく、また、甲第一三号証記載の実験も、「混合液塗布試料(すなわち固溶体)は組成がルテニウムリツチになるにつれて、減量は大きくなる傾向にある。他方、交互塗布試料(すなわち混合物)はそれとは逆にRuO2の比率が小さくなるにつれて、すなわちSnO2の比率が大きくなるにつれて、減量は大きくなる傾向にある。」と結論しているうえ、実験結果自体も、ルテニウムの消耗速度については乙第一五号証及び第二三号証記載の実験と同様の傾向を示し、塩素過電圧については、その経時的変化が不明であつて、必ずしも乙第一五号証及び第二三号証記載の実験と矛盾するものとはいえないものと認められるから、結局、甲第一三及び第一四号証は、前認定を左右するものではなく、(他に右認定を覆すに足りる証拠はない。)、したがつて、原告らの右の主張は、採用の限りでない。以上の事実を総合すると、本件明細書において、卑金属の酸化物の添加量を容量で五〇%までにすると記載した理由は、卑金属の酸化物を添加した結果生成した物質が、白金族金属の酸化物と卑金属の酸化物の狭義の混合物であることを前提にしていたことによるものと認められる。更に、本件明細書の実施例についてみるに、前掲甲第二号証の一及び二によると、本件明細書の実施例のうち、白金族金属の酸化物に卑金属の酸化物を添加する例は、実施例3の白金族金属の酸化物にマンガン又は鉛を添加する例、実施例6の酸化イリジウムと酸化マンガンの例並びに実施例9の酸化白金と二酸化マンガン、酸化白金と二酸化ケイ素、酸化白金と酸化鉛、酸化白金と酸化ニツケル及び酸化白金と酸化クロムの例が存するものと認められるところ、原告らの主張によつても、これらの実施例の中で固溶体が生成する可能性があるのは実施例6のみであり、他は狭義の混合物の実施例であつて、しかも、実施例6の場合も、被覆層の製造条件によつて、固溶体になる場合と狭義の混合物になる場合が存するというにすぎない。もつとも、前掲乙第一〇号証、第一二号証、成立に争いのない乙第一三号証、第一六号証の一ないし三及び第一七号証によると、実施例6において固溶体が生成することがあるということについても疑問が存するのであるが、仮に原告らの主張が正しいとしても、白金族金属の酸化物に卑金属の酸化物を添加する技術事項に関する前説示に照らすと、本件明細書の実施例の記載は、全体としては白金族金属の酸化物に卑金属の酸化物を添加することにより生成される物質が狭義の混合物であることを前提とするものというべきであつて、そう解することが本件明細書の一般的説明にも符合しており、したがつて、当業者が、実施例6のみから、本件発明の被覆層に固溶体の被覆層が含まれるものと読み取ることは困難であると認められる。
(2) 前掲甲第二号証の一及び二、第七号証、乙第四号証、第二五号証の三及び六並びに成立に争いのない乙第二五号証の二及び七によると、本件明細書には、卑金属の酸化物として錫を用いるとの記載は全く存しないこと、本件発明が特許出願された当時、卑金属の酸化物として錫を用いた例は知られておらず、本件発明の特許出願がされた後に、錫を用いた電極被覆について多くの特許出願がされ、原告DSTも昭和四八年頃からこのような特許出願をするに至つたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠は存しない。右認定の事実及び前(1)の説示を併せ考慮すると、本件発明の特許出願当時の技術水準において、当業者が本件明細書の記載から、ルテニウム、錫及び酸素から成る固溶体の電極被覆、特に、錫の酸化物の添加量が五〇%を超える固溶体の電極被覆を読み取ることができたとは認められない。
(3) 以上のとおり、本件明細書の記載全体を検討しても、本件明細書には、電極の被覆層として白金族金属、卑金属及び酸素から成る固溶体、殊に、錫の酸化物の添加量が五〇%を超えるルテニウム、錫及び酸素から成る固溶体を用いるとの技術的思想は開示されておらず、このような固溶体を用いるものは、本件発明の技術的範囲に属しないものといわざるをえない。
3 なお、前掲甲第二号証の一及び二、乙第四号証及び第五号証並びに成立に争いのない甲第一一号証によると、本件発明の発明者であるベーアは、本件発明に引き続いて第二発明をし、これを基にして、訴外ヘムノール・アクチエンゲゼルシヤフトらがイギリスを始めとして世界各国に特許出願をしたこと、ベーアは、昭和五五年一〇月二〇日から二二日まで米国オハイオ州クリーヴランドで開催された「産業における電気化学の新しい方向に関する国際シンポジウム」において講演し、本件発明に関する特許権は、「単一酸化物特許」と呼ばれ、白金族金属の酸化物と卑金属でない金属の酸化物との混合物による電気的触媒を行う被覆によつて覆われた金属の心を有する電極に関するものであり、第二発明に関する特許権は、白金族金属の酸化物とチタン等の薄膜形成金属の酸化物の混晶からなる電気的触媒を行う被覆によつて覆われた金属の心を有する電極である旨述べたことが認められ、右認定の事実に前(二)(1)(2)で認定した本件明細書の記載を併せ考慮すると、ベーアは、本件発明の特許出願当時、白金族の金属、卑金属及び酸素から成る固溶体には想到しておらず、ましてや、五〇%を超える錫の酸化物を添加したルテニウム、錫及び酸素から成る固溶体には想到していなかつたものと認められる。この点について、ベーアは、甲第一一号証の宣誓供述書において、右認定に反する供述をしている。しかし、前記シンポジウムにおけるベーアの講演は、本件発明の特許出願後一五年近くを経過し、その権利を譲渡した後にされたものであるが、特許出願や特許紛争とは利害関係なしに、研究者としての立場からされたものであつて、むしろ、本件発明及び第二発明の内容についてのベーアの認識を有りのまま述べていると認められるのに対し、甲第一一号証の宣誓供述書は、本件訴訟に先立つて原告らから提起された仮処分事件の証拠とする目的で作成されたものであることが当裁判所に顕著であつて、右の講演よりも信用性が低いものといわざるをえないから、甲第一一号証は、右認定を左右するに足りない。
4 以上によれば、白金族金属、卑金属及び酸素から成る固溶体の電極被覆、なかんずく、五〇%超える錫の酸化物を添加したルテニウム、錫及び酸素から成る固溶体の電極被覆が文言上本件明細書の特許請求の範囲に含まれるか否かが明確でなく、また、本件明細書の記載全体を精査しても、このような固溶体の電極被覆が本件明細書に開示されているとは認められず、更に、発明者自身、これを認識していたとも認められないから、右のような固溶体を用いるものは、本件発明の技術的範囲に属しないものと認めるのが相当である。他方、被告電極の被覆が、ルテニウム、錫及び酸素から成る固溶体(原子比が三対七対二〇)であることは、当事者間に争いがない。そうすると、被告電極は、本件発明の構成要件Bの(4)及び(5)のいずれをも充足しないから、本件発明の技術的範囲に属しないものというべきである。
四 よつて、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却することとする。
〔編注1〕本件における請求原因は左のとおりである。
1(一) 原告DSTは、次の特許権(以下「本件特許権」といい、その特許請求の範囲1の特許発明を「本件発明」という。)を有していた。
特許番号 第八四八六四五号
発明の名称 電解処理用電極
出願日 昭和四一年五月一二日
公告日 昭和四八年二月三日
登録日 昭和五二年三月九日
存続期間満了日 昭和六一年五月一二日
(二) 原告ペルメレツクは、昭和五四年一一月二七日、原告DSTから、本件特許権について日本における独占的通常実施権を許諾された。
2 本件発明の特許出願の願書に添付した明細書(ただし、特許法六四条による補正後のもの。以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は、本判決添付の特許公報(以下本判決添付の補正事項を記載した特許公報と併せて「本件公報」という。)の特許請求の範囲1の項記載のとおりであつて、本件発明の構成要件は、次のとおりである。
A(1) 皮膜形成金属の心と
(2) 前記心の少なくとも外側部の電解液に耐え、しかも、電解生成物に耐える物質の層とから成り、
(3) 前記層を前記心の表面の少なくとも一部とした
電解処理に用いる電極において、
B(4) 前記物質として白金、イリジウム、ロジウム、ルテニウム、オスミウム中から選択した白金族中の金属の酸化物を用いたことを特徴とし、
(5) 前記物質に更に貴金属でない金属の一種以上の酸化物を含有し得る電極。
3(一) 本件発明は、電解処理に用いる電極(主として陽極)に関するものであるところ、白金又は黒鉛からなる電極と異なり、次の(二)に述べるような作用効果を有するものであつて、白金族金属の酸化物を心の被覆とする電極についての画期的なパイオニア発明である。
(二)(1) 本件発明は、皮膜形成金属を心として、その上に白金族金属(白金のほか、ルテニウム、イリジウムなど)の酸化物を塗布するものであるが、白金族金属の酸化物は、白金よりも化学的に安定であり耐食性が高いから、電極に白金族金属の酸化物を使用することにより、白金の消耗を減少させることができ、したがつて、より苛酷な電解を行うことができる。
(2) 白金族金属の酸化物を用いた電極は、白金被覆電極と同様、心について、金属としての加工性をそのまま生かし、これを所望の形状に加工してから白金族金属の酸化物を塗ることができるので、機械的加工性の点で黒鉛電極に比べて有利である。
(3) 白金以外の白金族金属は、消耗の程度が甚だしく、電極としては実用に耐えなかつたが、これを酸化物にすることによつて電極に使用することができる。
(4) 白金族金属の酸化物の被覆は、心を形成する金属とよく密着し、電極と一体となつた丈夫なものができるうえ、酸化物の表面は微細のひび割れを呈しているので、電解液が奥まで入り込むという深部効果があり、電極表面と電解液との接触面積が大きくなつて、電極金属の触媒作用が良くなる。
(5) 白金族金属の酸化物の被覆電極の場合、白金被覆電極と異なり、水銀と接触しても表面にアマルガムを形成しないため、水銀法による電解の電極に使用することができる。
(6) 貴金属でない金属(以下「卑金属」という。)の酸化物は、導電性が極めて低く、それだけではソーダ電解用電極の被覆層とすることはできないが、白金族金属の酸化物と混合して用いるときは、その中の白金族金属の酸化物が電気を通すことを妨げないため、卑金属の酸化物を併せ用いることができる。また、他の酸化物の量と性質を適宜選択することによつて過電圧を高くしたり低くしたりすることができる。
4 被告は、別紙目録記載の電解用電極(以下「被告電極」という。)を製造販売している。
5(一) 被告電極が、本件発明の構成要件A(1)ないし(3)の要件を充足することは明らかである。
(二) 被告電極の心を被覆している物質は、ルテニウム、錫及び酸素の三種の元素から成り、それらの原子数比が約三対七対二〇の単一相結晶体(以下「固溶体」という。)である。ルテニウムと錫の原子が酸素原子と固溶体を形成しているということは、ルテニウムと錫が酸化物として共存している状態を意味するから、被告電極の被覆は、組成比が二七%対七三%の酸化ルテニウムと酸化錫から成り立つているともいいうる。ところで、本件発明は、心を被覆する物質の層に白金族金属の酸化物が用いられてさえいればよいところ、右のとおり、被告電極は、酸化ルテニウムを用いているから、本件発明の構成要件B(4)を充足し、更に、酸化錫を併せ用いているから、本件発明の構成要件B(5)を充足し、したがつて、本件発明の技術的範囲に属する。
6(一) 原告DSTは、昭和五四年一一月二七日、原告ペルメレツクとの間において、本件特許権について独占的通常実施権許諾契約を締結し、原告ペルメレツクから、実施料として、原告ペルメレツクが販売する本件発明の実施品である電極(以下「原告電極」という。)の販売価額の一四・七%の額を取得していた。ところで、被告は、昭和五八年から同六一年二月二一日までの間に、被告電極を合計六億八八〇〇万円相当販売した。原告ペルメレツクは、被告の右本件特許権侵害行為がなければ、右と同額相当の原告電極を販売することができたはずであるのに、被告の右侵害行為により、右と同額相当の原告電極の売上げが減少した。原告ペルメレツクの原告電極の右売上げの減少により、原告DSTが原告ペルメレツクから受領すべき実施料が減少し、その額は、被告電極の右販売価格の一四・七%に相当する約一億〇一〇〇万円である。したがつて、原告DSTは、被告の右侵害行為により、右と同額の損害を被つた。
(二) 原告ペルメレツクが、本件特許権について独占的通常実施権を許諾されていることは、業界においては周知のことであつたところ、被告は、故意により同原告の独占的通常実施権を侵害した。原告ペルメレツクは、被告の右侵害行為により損害を被つたが、その額は、二億円を下らない。すなわち、このような場合、特許法一〇二条一項の規定の準用により被告の受けた利益の額をもつて原告ペルメレツクの損害の額と推定されるところ、被告は、被告電極の販売により、販売価額合計六億八八〇〇万円の三〇%に相当する二億円を下らない利益を上げたから、原告ペルメレツクの被つた損害額は、二億円を下らないものと推定される。
7 よつて、原告DSTは、被告に対し、6(一)の損害金の内金一億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払い、原告ペルメレツクは、被告に対し、6(二)の損害金の内金一億円及びこれに対する右同様の日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。
〔編注2〕本件における目録は左のとおりである。
チタン製の心に、三種の元素Ru、Sn、Oから成り、それらの原子比が、約3:7:20である単一相結晶体(いわゆる固溶体又は混晶)の被覆を施した電解用電極。